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To get better little by little
2023 - 03/10 [Fri] - 10:00

































少しずつでも良くなるために
とでもその意味を訳せばよいのでしょうか。
犬の保護活動 にとどまらないことなのかもしれません。
自問自答してみたなかで考えたこと
しばしお付き合いいただければと思います。
フェルミ推定 という言葉がひろく認識されたように思うのはだいぶん前になるような気がします。
以前自分の犬の日々について書き記したものの中にそんなワードが出てきていますからおそらくは10数年くらい昔になるかと思われます。
ちょうどその頃出版された書籍に取り上げられて載っていたり、外資系会社の面接試験にこの考え方を用いて答えるというようなお話が伝わってきたりして、それらを契機に世の中に言葉として定着したような印象です。
ただWikipediaにも書かれている様に「ただしこのような考え方自体は、理工系学部では講義などで教えられていたり、ビジネスシーンではきわめて当たり前のように用いられていた。」という部分はその通りだと思います。
すでにそこにあり認知されているものが、名前を与えられて形作られる。
そしてそのことによってよりイメージという認識が進む。
世によくあることだと思います。
「フェルミ推定」
実際に調査することが難しいような捉えどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算することである。
でもこの考え方って実は日常でも私たちは使っていますよね。
どんな問題であれ全てを把握して正解を述べられる、辿り着けられる可能性って実のところその問題の範囲がどこかで決められているから成立するとも考えられる。
問題が途方もなくとも、なんとか答えに近づこうとする営み。
自分の力が及ばない部分を持てる力で補い、ときにそうしたところをそのほかのさまざまな方法で底上げして挑む。
問題解決の意識が強く後押しとなれば、人はできうる限りそこへ向けて努力を重ねることもできる。
こういうことではないでしょうか。
先の引用の中で「理系における考え方である、ビジネスの場において用いられてきた、などと書かれています。
例えば科学の研究の中で、まだ現段階では人類の知りうる情報の限界を超えている現象があったとしても、そこに挑む人々は降参をして手をこまねいたままではいません。
時には荒唐無稽とも思われるような仮定や推論を基にひとつずつ一歩ずつその真理に至るべく歩み続けています。
犬の保護活動 に戻ってみます。
理想は勿論不幸な事象をゼロにすることです。
ではそれはいつかおとずれる、待っていればかなえられる地平なのでしょうか。
完全な実現が不可能ならば諦めてしまってよいものなのでしょうか。
極論かもしれませんが、オールオアナッシング でよいと言えるのでしょうか。
果てしないと感じられるたたかいだからといって諦めてしまってはならないのでしょう。
「一頭でも多くのボーダーコリーをしあわせにする。」
この文に込められいるもの。
“少しずつでも良くなるために”
何をどうすればよいのか。
自分にできることをまた自らに問いかけてみています。

































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